日日のきれはし。

日常というやつ。

通り道に建つとあるおうちの庭の柿の木の、緑に繁る葉っぱのあいだから半分ほど赤く染まった葉っぱがいちまいアスファルトに落ちるまでのつかのまのダンスをみていたのは、わたしだけ。

その瞬間を見てくれる人がいるから、ダンスは成り立つ。
見るということに支えられているダンス。
見られることと見せることと。

まだまだと思っていたわけじゃないのに、もう本番まであとわずかです。
それなのに、ふだんとおんなじように、朝は家族のお弁当を作って、洗濯物を干して、鉢植えに水をやって、あわただしく駅へ向かい、電車に乗って、会社にいって、パソコンのキーをたたいて、帰りがけにスーパーで夕食の買い物して、発泡酒飲みながらごはんつくってたりしてるわけです・・・稽古のある日は、こんな日常モードどっぷり状態から切り替えができるのか?こんなんで踊れるのか?とか、日常をわずらわしく思いながら稽古場に向かうのですが、いざ舞台に足を踏み入れるときは、なんかわからないけど、別に電車とか飛行機に乗らなくても、とことこと日常から地続きで行けてしまうような感じなのです。案外そんなものなのかもしれません。別に特別な場所じゃない。だけど、いつも同じ場所じゃない。
そんなことを考えていると、重たい買い物袋をぶらさげて歩くいつもの道からの風景が、えらく不思議なものに見えてくるのでした。

何をしていようと、やはりわたしには、「日常」というやつが不可欠なのです。
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by kuukazoo | 2006-08-10 23:57 | dance

猫よけのペットボトルの輪郭でたたずむ水に映るいちにち あるいは岩崎一恵のダンスって何?な今日この頃。写真:松本和幸
by kuukazoo
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